推し活、ファンダム文化をリアルに描いた朝井リョウの小説『イン・ザ・メガチャーチ』を読み終えたあと、頭に残ったのは「オタクは物語に操られているのか?」という問いだった。
同じものを信じ、同じ世界観を共有する人たちの会話には、外から見ると理解しづらい熱量がある。だが、その内部にいる人間にとっては、むしろその言葉こそが現実に近い。
『イン・ザ・メガチャーチ』の登場人物たちの描写は、まさにその感覚をリアルに描いているように感じた。
今回はそんな話題作、朝井リョウの『イン・ザ・メガチャーチ』の感想を、現役オタク目線で書いてみようと思う。
「物語の沼」に飛び込む人の共通点
この作品を読みながら考えたのは、人がなぜ“物語”に没入するのかということだ。
宗教、アイドル、アーティスト、スポーツチーム。対象は違っても、そこに強く惹かれていく人にはある種の共通点があると表現されいる。
それが、物語に自分の感情を預けることができる人。
推し活もそうだが、単に誰かを好きになるというよりも、その存在が生み出す物語の中に自分も参加している感覚がある。
ライブの瞬間、アルバムのリリース、活動の成功。そうした出来事を自分の人生の出来事のように感じてしまうのは、まさに“物語の沼”に足を踏み入れている証拠だろう。
自分自身もそうだったように、物語の沼に飛び込む瞬間というのは様々な要因が重なった時に起きる。
作中では性格診断のMBTIなども引き合いに出されていたが、気質だけではなく、その時の心理状態、環境、取り巻くもの全ての条件が「推し」の魅力とピシャリとハマった時に、推し活という「普段の自分とは別の物語」に自分を預ける人が多いのではないかと感じる。
推し活と宗教はどこか似ている
『イン・ザ・メガチャーチ』を読みながら、何度も感じたのは推し活と宗教の近さだ。
もちろん両者は同じものではない。
しかし、構造としては驚くほど似ている。
・信じる対象がいる
・コミュニティが生まれる
・共通の価値観が共有される
・外部からは理解されにくい熱量がある
推し活をしていると、「それって宗教みたいだね」と言われることがある。
少し乱暴な言い方ではあるが、完全に的外れでもない。
人は何かを強く信じるとき、その対象を中心に世界の見え方が変わる。(作中ではたびたび「視野狭窄(しやきょうさく)」という表現が使用される)
『イン・ザ・メガチャーチ』は、その構造を極めて冷静な視点で描いているように思えた。
マーケティングの視点から読んでも面白い
この作品は推し活やファンダム文化を作り上げる側も描かれており、マーケティングに興味がある人にも刺さる内容だと思う。
人が集まり、信じ、広がっていく仕組み。
コミュニティが熱量を持ち続ける理由。
そして、外から見れば不可解なほど強い結束力。
これらは宗教だけでなく、現代のファンダムやブランドコミュニティにも共通する構造だ。
K-POPやアイドル文化を見ていても、同じメカニズムが働いているように感じることは多い。
人が何かに惹きつけられる構造と、それを巧みに計算して作り上げている運営側、実際にオタクをしていると「わかってはいるけどあえて盲目にしている部分」を突きつけられている感覚に陥り、ディズニーランドの裏側を見ているような気分になってしまったことは事実だ。
沼にハマるほど興奮は強くなる
推し活をしているとよくわかるのだが、
視野が狭くなっているときほど、熱量は高くなる。
沼にハマり始めた頃は、世界の中心が“推し”になる。
新しい情報が出るたびに興奮し、SNSを追い、コミュニティの中で盛り上がる。
それはある意味、軽い中毒状態にも近い。
しかし、その熱量こそがコミュニティを動かすエネルギーでもある。
『イン・ザ・メガチャーチ』を読んでいると、その“熱狂の瞬間”の空気が伝わってくる。
そして同時に、その熱狂がどこへ向かうのかという不安も感じさせる。
実際に身の丈に合わない金額を推しに注ぎ込んでしまう心理状態や、オタク同士の連帯感や承認欲求、そういったリアルに共感できてしまう痛いところまで実に冷静な目線で書かれているので現役オタクにとっては少し心が痛かった。
推し活をしている人にこそ読んでほしい!
現役で推し活をしている立場から読むと、作中で描かれる熱狂やコミュニティの空気には、どこか見覚えのある感情があった。特に印象的だったのは、オタク同士の会話の解像度の高さだ。
「え、これ私の会話聞かれてた…?」と思ってしまうくらい、描かれている会話が生々しかった。
推し活を多面的に捉えた描写が多い分、オタク文化や推し活をしている人ほど深く刺さる小説だと思う。(怖さもあるのは確か)
誰かを信じること。
コミュニティに属すること。
物語の中に自分の居場所を見つけること。
自分の推し活と重ね合わせて、きっとどこかで「わかる」と感じる瞬間があるはずだ。
